【三百諸藩の幕末の動向】東北の諸藩/関東の諸藩/東海の諸藩/甲信越の諸藩/北陸の諸藩/近畿の諸藩/中国の諸藩/四国の諸藩/九州北部の諸藩/九州南部の諸藩
【その他リストなど】幕末明治の艦艇/御三卿・幕府直轄地拠点/幕末人物 墓所訪問
【晋作の愛した下関】豊北町・豊浦町/豊田町・菊地町/吉母・吉見・福江/向日・井田・田倉/吉田・清末/安岡・綾羅木・延行/長府/市街(下関〜唐戸)/彦島

-晋作の愛した下関-

豊北町・豊浦町 / 豊田町・菊川町 / 吉母・吉見・福江 / 内日・井田・田倉 / 吉田・清末
安岡・綾羅木・延行 / 長府 / 市街(下関〜唐戸) / 彦島

豊田町・菊川町
 平成の大合併によって下関に編入された豊田町や菊川町は、下関北東部の内陸部です。
 一級河川の無い下関の水源として利用する為に建設された木屋川ダムによって人工的に造られた豊田湖は、ワカサギ釣りやボート、キャンプなどが満喫できる自然豊かなスポットとなっています。初夏には木屋川水域を中心に、無数のゲンジボタルか幻想的な光景を作り出すほか、一ノ俣温泉や西ノ市温泉、菊川温泉などの美肌の湯も魅力的。山あいながら赤間関街道や肥中街道などが通る交通の要所でもあり、宿場町では昔の雰囲気が残る場所も多くあります。

豊田町地吉

安徳天皇西市御陵墓参考地
-安徳天皇を安置したとされる場所-
安徳天皇の御稜は、宮内庁が治定した阿彌陀寺陵(赤間神宮)とされていますが、それとは別に日本海で見つかった安徳天皇の遺骸を埋葬したとされる場所です。木戸孝允は明治8年に、この御稜を訪れて漢詩を書いており、その漢詩が石碑に刻まれています。
場所:下関市豊田町大字地吉(天皇様バス停側)
ブログ記事→下関市豊田町 安徳天皇西市御稜墓参考地
豊田町西市

西市本陣中野家跡
-宿場町西市の本陣跡-
西市は中世より続く市場町として栄え、1日、10日、21日に市場が開かれていました。木屋川の水運が発達すると、海の魚も市場に並ぶようになり、内陸部の数少ない魚市場として、1日おきに競りが行われるほどとなっています。赤間関街道北道筋と肥中街道が交差する宿場町でもあり、西市の本陣は酒造業を営む中野家が努めました。
場所:下関市豊田町大字西市

豊田町大字杢路子

狗留孫山修禅寺
-長府毛利家の祈願寺-
本堂横の巨石は観世音菩薩の化身とされ、元々はその巨石を祀る自然崇拝より由来し、行基や空海などの高僧が登って修行し、真言密教と深く関わって霊山として信仰されました。長府毛利家の祈願寺として庇護され、本堂の改修や通夜堂の造営が行われて大いに栄えたようです。吉田松陰も北浦巡視の際に、狗留孫山に登っています。
場所:下関市豊田町大字杢路子
ブログ記事→下関市豊田町杢路子 狗留孫山修禅寺
菊川町

船越清蔵関連史跡
-暗殺された儒学者船越清蔵の故郷-
船越清蔵は清末藩士の子として生まれましたが、帆足万里や広瀬淡窓に師事した儒学者で、長府藩に迎えられて長府藩校の教授となった他、長州藩の明倫館などでも講義を行っていました。しかし長州藩主毛利敬親の御前で講義した際、毛利家の始祖大江広元を批判した為、この事に激怒した長州藩士に毒を盛られ、その帰路の絵堂で倒れて死亡しています。菊川町上岡枝には、清蔵の屋敷跡や墓所などの関連史跡が残っています。
場所:下関市菊川町大字上岡江
ブログ記事→
下関市菊川町 船越清蔵関連史跡


幕末維新と関係はありませんが、長正司公園の樹齢150年を超える大藤棚、
徳仙の滝や石柱渓などの美しい風景、西ノ市やきくがわの道の駅も魅力です。


豊北町・豊浦町 / 豊田町・菊川町 / 吉母・吉見・福江 / 内日・井田・田倉 / 吉田・清末
安岡・綾羅木・延行 / 長府 / 市街(下関〜唐戸) / 彦島


トップページへ